畳の歴史

奈良時代の畳

現存する最古の畳は奈良東大寺の宝物殿正倉院に聖武天皇(西暦701~756年) が使用した「御床畳」(ごしょうのたたみ)というものがあります。木製の台の上に 置かれベットとして使われたもので真薦(マコモ)で編んだ莚(ムシロ)のようなものを5~6枚重ねて床として表にい草の菰(コモ)をかぶせて錦の縁をつけたもので畳の原型とされています。

うんげん縁の二重台

稲わら畳の発祥

西暦1000年代の初期の頃、稲の収穫をそれまでの穂だけを獲っていた方法から 根から刈り取る方法に変わり、田んぼから米の他に副産物として容易に稲わらが手に 入る様になりました。脱穀した後の稲わらは加工のしやすさから縄、わらじ(履き物)、むしろ(寝床)等あらゆる生活用品に加工されました。
根刈りから始まった稲わら文化の誕生です。その典型的なものがい草との組み合わせによる稲わら畳です。正しく日本人の知恵が生んだ賜物です。

紋縁

置き畳の普及

当時の寝殿造の建物では、板敷の間に座具や寝具など置き畳として使われ、使う人の身分によって畳の厚さや縁の紋様に規定があったとされます。

敷物から床材へ

鎌倉時代以降、建築様式が「書院造」になると部屋全体に畳が敷かれるようになり、敷物から床材としての畳になっていきます。室町時代以降、茶道の発展と共に畳の敷き方にも変化があり、数寄屋造りの建物が誕生します。

畳道具

職能制度

この時代迄は貴族や武 士の権力の象徴としての畳でした。次第に下級武士や商家などに普及し、江戸時代中期には長屋に住む一般庶民にまで普及し、畳屋、畳刺、職人等6階級の身分統制的な職能制度が確立、元禄時代には畳奉行が出現しました。

畳の大衆化

明治時代に入り、農村部にも普及し一般住宅に6畳・8畳間の座敷造作が一般的となり、「畳と女房は新しい方がいい」「畳の上で死にたい」など大衆化を果たしまし た。「床踏み3年刺し5年」と畳職人になる迄の格言にあるように稲わら畳床は全て手縫 いで作られ、等級毎に稲わらの並べ方の違いがあり、高級品程、縦・横何層にも重ね られ細かい針足で縫うのは現在と変わりません。大正時代には手動で畳床を作る製畳 機が現れました。昭和の太平洋戦争後迄は農家から稲わらを買い入れ、自分の工場で 手動の機械あるいは手縫いで畳床を作り、い草の畳表と縁を手縫いで仕上げてお客様 に届ける迄の一連の作業が畳店の仕事でした。

畳需要全盛期

戦後復興で大都市圏を中心に住宅の建設が急拡大すると、畳店は畳床を作る時間がなくなる程忙しくなり、畳床に畳表をかけて仕上げ、お客様に届ける事に特化したため、畳製作と畳床製造の分業化が始まりました。畳床は稲わらを集めやすい郊外に立地、全国各地に畳床専門業者が500業者を超えた時期もありました。
宮城県は関東圏の商圏を中心に100軒を超える業者数で全体の3割以上を供給する全国一の主産地となりました。 昭和48年にピークを迎えた住宅建設ラッシュ時には、海外からの稲わら畳床の輸入。

建材Ⅲ型稲わらサンド稲わら

建材畳床Ⅲ型

稲わらサンドイッチ畳床

稲わらサンドイッチ畳床

稲わら畳床

稲わら畳床

素材・製造機械の改新

国内の稲わら不足による代替品として発泡ポリスチレンフォームを稲わらでサンドした畳床の普及、少し遅れて木質系硬質繊維板(インシュレーションボード)が開発され、脱わらのポリスレンフォームとインシュレーションボードを組み合わせた建材畳 床が稲わら畳床の重さが4割程と軽量で安価な為、飛躍的にシェアを伸ばしました。 同時期にコンピューター制御の全自動縫着機が開発され、大量生産が可能となり、軽い建材床と安価な中国産のい草畳表との組み合わせによるコストダウンした畳製品が現在でもシェアの約6割を占めています。全盛期には年間4,000万枚を超える畳が作られました。

コンピュータ制御平刺機

コンピュータ制御平刺機

現在の畳事情

20年程前からは住宅のバリアフリー化がすすみ、フローリングと同じ厚さの15mm前後の薄い畳の需要が高まりました。フローリングの上で使用する置き畳も段差を抑え、移動、収納が容易な15mm厚さの軽量な畳が主流になっています。現在では2割にせまるシェアを持ち、新しい形の畳生活が和室の減少と共に確立しています。
畳表に関しては、様々なデザインやカラーが楽しめる樹脂製や和紙製の工業畳表が縁無半畳敷きの部屋や置き畳として国産畳表と同程度の数量が普及しています。
天然素材のい草畳表は中国産を含め減少傾向にあります。
50年前までは100%であった稲わら畳床は現在、シェア1%未満の特別なものになってしまいました。
それは農業の近代化による稲の収穫がコンバインの普及により、稲わらが細かく切り落とされ、畳床に使用出来る長い状態の稲わらが年々減少した為、原材料不足による供給不足と、30kgを超える重さによる作業性の悪さが畳店から敬遠され次第に使われなくなった事が最大の原因です。


15mm仕上がりの極薄畳床

棒かけ自然乾燥された稲の脱穀作業

稲の脱穀作業

コンバインによる稲刈り風景

コンバインによる稲刈り風景

脈々と受け継がれてきた畳職の技術は昔も今も将来も稲わら畳で活かされます。このままでは本来の稲わら畳の存在が近い将来、危ぶまれる事態となります。日本固有の稲わら文化としての稲わら畳を将来に向けて残す事が当店の使命と考えております。